グラナダってどんな場所?
グラナダはスペインのアンダルシア州に位置しています。
バルセロナから国際線で1時間半ほどでいけます。
白い壁に茶色い屋根の家が立ち並ぶとても美しい街並みが印象的な田舎町で、スペインの南側に位置しているため気候が温暖で陽気な雰囲気を感じます。
スペインですがイスラムの文化が多く残っているのでアラブの雑貨屋ケバブ屋さんなどもあります。
キリスト教とイスラム教のどちらの文化も感じることのできる街なのですが、そのようになった歴史背景を少しお話したいと思います。
グラナダとイスラム教徒
イスラム教徒はイベリア半島南部のコルドバ、セビーリャを本拠地としていましたが、スペイン王朝によるレコンキスタ(キリスト教による再征服活動)で没落し、イスラム教徒がグラナダに逃げ込みました。
その後ムハンマド1世がナスル朝を開国し、グラナダに宮殿の建設をはじめました。イスラム教徒の中には高度な技術を持った職人がいたため、高度なイスラム文化がグラナダで栄えることとなりました。
ナスル朝はグラナダに13世紀にムハンマド1世によって建国されたスペインで最後のイスラム王朝です。
グラナダ王国やナスル朝グラナダ王国とも呼ばれています。
ナスル朝グラナダ王国はムハンマド1世から5世まで栄えますが、1492年にはレコンキスタによってついにアルハンブラ宮殿も没落し、イスラム最後のナスル朝が滅亡したことでレコンキスも終結を迎えました。
没落後のアルハンブラ宮殿
その後キリスト教徒の手に渡ったアルハンブラ宮殿はカルロス5世によって避暑地として選ばれました。
カール5世の時代になってからモスクは教会に変えられ、修道院や礼拝堂が建設されています。
レコンキスタによってスペイン王国はイスラム教を払拭にしたにも関わらずアルハンブラ宮殿が取り壊されることなく後世に今も残されているのは、その建築の美しさなどに文化的価値を感じていたからではないかと言われています。
その証拠に何度も増改築されていますが、イスラムの雰囲気がふんだんに残っています。おそらくこの美しい装飾はキリスト教徒から見ても美しく、壊すには勿体無いものだったのでしょう。
アルハンブラ宮殿はイスラムとキリストの対立の末に残ったものなので、歴史的にもそしてスペインを訪れるイスラム教徒にとって特別なものであることに間違いありません。
世界遺産に登録
「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン」の名称でユネスコの世界遺産に文化遺産として登録されたのは1984年のことです。
アルハンブラ宮殿はグラナダの丘の上に建てられた宮殿です。
元々あった要塞を改築して13世紀に建設が始まっています。
そのアルハンブラ宮殿の壁の外にあり、北側に位置していて坂を挟んだ太陽の丘の上にある離宮がヘネラリーフェです。ヘネラリーフェは王の別荘として活用されていました。
アルバイシンはすぐそばの丘に造られた白い家の街並みのことを指します。
アルハンブラ宮殿から順番に、中にはどんな建物があるか紹介していきます。
アルハンブラ宮殿
ムハンバド1世が建設に着手した宮殿で、高度なアラブ建築の技術が多く使われています。アラビア語で赤い城壁とも呼ばれるアルハンブラ宮殿は城としてだけでなく、城塞として様々な設備を備えています。
軍隊、モスク、学校、浴場、墓地や庭園などがあり、住居としても数千人が居住する城塞都市でした。
またなぜ赤い城壁と呼ばれたかというのはこの土地の土壌が赤いため、もしくは建設に用いたレンガの色や、宮殿を覆った漆喰が赤かったためなど外観のイメージからくる説の他に、イスラムとキリストの戦いで血で赤く染まったためという説など諸説あります。
中は広大な敷地に宮殿や庭園、噴水などの他にも様々なイスラム様式の建築物があります。
カルロス5世宮殿
スラム教徒を追い出した後にキリスト教徒によって建てられたものでイスラム建築とは異なる建築物です。四角い建物の中は円形になっている変わった造りが特徴的です。
長年イタリアで建築を学んでいたペドロ・マチューカによって1527年に建設が始まりましたが、資金不足などから何度も建設が中断され、1957年にやっと完成しました。
元々ペドロ・マチューカはグラナダの王室礼拝堂の画家として働いていました。
カール5世がグラナダを訪問した際にペドロマチューカにカルロス5世宮殿の依頼をしたことで建築が始まります。建築には長い年月がかかっており、途中ペドロマチューカはなくなってしましますが、息子のルイスによって建築されました。
ルネッサンス様式(イタリア建築)でスペインで唯一のものとして貴重な建築物とされています。
カルロス5世噴水
この噴水はカルロス5世宮殿と同じくペドロマチューカによって設計建築されたものです。観るからに西洋の雰囲気でイスラム統治時代に造られたものではないことが見てすぐにわかります。
裁きの門
イスラムの統治時代にここで民事裁判などの裁判が行われていたことから裁きの門と呼ばれています。
馬蹄型のアーチ型の門には外側には「手」内側には「鍵」が形どられています。
この手にはコーランの印であり、5つの戒律(信仰、祈り、断食、喜捨、メッカへの巡礼)を意味しているそうです。
キリスト教の統治になってから内側の鍵の上には聖母マリア像が付け加えられました。
葡萄酒(ワイン)の門
ムハンマド2世時代のものとされている葡萄酒の門はアルハンブラの中でも古い建物とされています。
アルハンブラの住人たちによって葡萄酒の市場がここで開かれていたことから葡萄酒の門と呼ばれるようになりました。
アルカサーバ(軍事要塞)
アルカサーバは葡萄酒の門と同様、アルハンブラ で初期に建てられた建築物で、もともとは9世紀(ローマ時代)にムーア人(イスラム教徒)建てられた軍事基地をムハンマド1世が改築してアルハンブラの要塞となりました。
ここにはナスル朝宮殿が完成するまでの間にムハンマド1世とムハンマド2世が住んでいたとされています。
アルヒベの広場
アルカサバとナスル朝宮殿の間にある深い谷に貯水槽を建設したのちに、周囲を埋めてこの広場が造られました。貯水槽のことをアルヒベと言います。
この広場からは美しいアルバイシンを見渡すことができます。
ナスル宮殿
ナスル朝宮殿はメルアール宮、コマレス宮、ライオン宮の3つの区分に分けて観ることができます。
メスアール宮
ナスル朝時代に建築されたイスラム様式の建築物です。
メスアールの間があり、王への謁見や司法行政を行う場所でした。メルアールとは政庁のことです。残っている王宮の中では一番古いそうですが、幾度に渡って行われた改修や火薬庫の爆発事故による崩壊やその修正で原形を知ることはもうできません。
しかしマチューカの塔と柱廊は爆発によるダメージがほとんどなく原形をとどめている貴重な場所でだそうす。
コマレス宮
コマレス宮は王の住まいとされていました。コマレスの塔はスルタン(王)の冬の間の寝室がここにあったと言われています。
アラネヤスの中庭を囲むアーチと大使の間にあるアーチ型の窓部分には繊細な装飾と美しい色とりどりのタイルを用いられていてとても印象的です。
アラヤネスの中庭
この庭には大きな池があり、これを水鏡にして後ろにあるコマレス塔を写すことでとても素敵な眺望になります。
34mの池に50mほどの塔が写り込むように設計してあるのだとか。
この景色を撮りたい人たちでこちら側はカメラを持った人たちで溢れています。
ライオン宮
ここはアルハンブラ宮殿一番のハイライトとも言える場所で、豪華な装飾が特徴的です。それもそのはずライオン宮はハーレムがあった場所で宮殿のプライベートな場所とされていました。
こちらもイスラム建築ですが、ムハンマド5世がペドロ1世と仲が良かったため、キリスト文化の影響も受けているとされています。
壁の装飾が少し他とは違うような気もしますね。
ライオンの中庭
諸王の間からみて中庭には12頭のライオンが外向きに12角形の噴水を囲んでいます。ここがライオンの中庭です。
この広場を囲む柱には大理石が使われており、その上は透し彫りになっています。いかにも王がいた場所だったんだなと感じられるような幻想的な空間になっています。
二姉妹の間
鍾乳石飾り天井がとても美しいです。
9つの石膏から作られた部品を組み合わせて造られている天井は、とても細かな装飾で観る人を驚かせます。しばらく見とれてずっと上を見ている人が多くいます。
リンダラハのバルコニー
細やかな装飾がとっても美しいです。この窓からはリンダラハの庭が見渡せます。リンダラハの庭はたくさんの植物が華やかながらも上品で素敵な中庭です。ちなみにリンダラハは王の寵妃の名前だそうです。
ヘネラリーフェ
ヘネラリーフェはアルハンブラ宮殿の中にはありません。敷地を出て太陽の丘にあります。
ヘネラリーフェは現在は2つの建物がありますが、レコンキスタ後にキリスト教徒によって幾度も改装されているため、イスラム統治時代の姿はわかりませんが、造りはアルハンブラ宮殿の他の場所に比べて質素でシンプルなものになっています。
ヘネラリフェはアルハンブラの城壁より外側にあるためグラナダの王たちが宮殿の仕事を離れて余暇を楽しむための場所として使われていたそうで窓からはアルハンブラ宮殿とアルバイシンを見渡すことができます。
アセキアの中庭
エントランスを入ってすぐの建物までつずいている中庭がアセキアの中庭です。
アーチ状に流れている噴水は雪解け水を使って造られたそうです。イスラムでは水は富の象徴として至る場所に噴水が設置されています。
ここヘネラリフェは主に夏の避暑地として使われていたようで、水を多く取り入れていることから水の宮殿とも呼ばれています。
見ているだけでも涼しげで落ち着きます。
きっとアルハンブラの王族達は政治など日頃の疲れを忘れたいときにここに足を運んだのではないでしょうか。
アルハンブラ宮殿に比べて質素ですがそれゆえに落ち着くことができる場所だったのではないかと考えられます。
アルバイシン
アルバイシン地区とは丘に漆喰の白い壁の家々が立ち並ぶ地域です。
アルハンブラ宮殿やヘネラリーフェからも観ることができる街並みはとても美しい眺めで、世界遺産に登録されるのも頷けます。
街の中は迷路のように複雑に入り組んでいいます。
イスラム文化を色濃く残した街にはトルコランプや香辛料、アラブ系の雑貨屋さんなど様々なお店を見つけることができます。
またアルバイシンからは夜にライトアップされたアルハンブラ宮殿を眺めることもできます。
アルハンブラの拝観時間
日中の拝観時間
チケットサイトがたくさん出てきますが、こちらのサイトは日本語に対応していてとても便利です。今回の時間などもこちらを参考にさせて頂きました。
詳しくは上記HPにて確認お願いします。
4月1日〜10月14日(月〜日)
8:30〜20:00
10月15日〜3月30日(月〜日)
8:30〜18:00
チケット売り場は開演8:00から営業しています。
夜の拝観時間
ナスル朝宮殿見学
4月1日〜10月14日(火〜土)
22:00〜23:30
10月15日〜3月31日(金・土)
20:00〜21:30
庭園とヘネラリフェ見学
4月1日〜5月31日(火〜土) 9月1日〜10月14日(火〜土)
22:00〜23:30
10月15日〜11月14日(金・土)
20:00〜21:30
庭園見学
4月1日〜10月14日(月〜日)
8:30〜20:00
10月15日〜3月31日(月〜日)
8:30〜18:00
公式サイト
official ticketと書かれたサイトがいくつもあり、どれが公式サイトなのかわかりにくかった。
おそらくこのサイトではないかと思います。
現地の窓口でもチケットは購入できますが、時間弾祝したい方、また裁きの門から入りたいという人には事前に購入しておく必要があります。
楽天トラベルエクスペリエンスではあらかじめチケットのご予約が可能です。
専門のガイドの方と一緒に回るツアーなので見どころを抑えて回ることができそうです。
アルハンブラ宮殿のガイド付きツアーのご予約
下記からグラナダアルハンブラ宮殿、グラナダ大聖堂、王室礼拝堂ガイド付きツアーをご覧いただけます。
※言語が英語やフランス語、スペイン語となりますのでご注意ください。
アルハンブラ宮殿まとめ
実際に行ってみると敷地内は広くて1日では回りきれない印象でした。
ふらっと歩くだけならもちろん1日でも回れますが、歴史などを知った上で細かい箇所まで見たいと言う人には2〜3日ほどかけてゆっくり観ることをお勧めします。昼と夜でも印象が違ってくると思います。
私は体力ない方なので宮殿の入り口にいくのに外壁を歩いているだけでも結構な距離だなと感じました。
よく晴れた日に行きましたが、宮殿の中は想像以上に涼しく、むしろ寒いくらいでした。しかしパティオなどに出ると暖かかったりもしましたので、で体温調節できる服装と歩きやすい靴で行った方が良いかと思います。
1度行っただけでは足りなくて、もっとちゃんと観ておきたかったな、もう1度行きたいなと思うほどですので、興味のある人はぜひ歴史なども勉強してから行かれるとより楽しめるかと思います。
とても細かい建築は一見の価値ありますので是非行ってみてくださいね。